とっても見にくい画像ですが、ノートパソコンの画面をそのまま、携帯電話で撮影し、即UPしています。昨日、お電話にてご質問がありましたので、回答させていただきます。
「方丈さん、今日いただいた、回忌表だけど、
初七日 しょなのか はわかるんだけど
27日 にじゅうななにち 忌は 日付が間違ってないの?」
という質問でした。
写真をご覧ください。今回わかりやすいように
令和4年1月1日をご命日として説明しています。
初七日 と書いて「しょなのか」と読みます。「はつ」ではなく初は「しょ」と読み、七日を「なのか」と読みます。 しょなのか という言葉は、葬儀の打ち合わせ時に説明があるからか、画面上令和4年1月7日と記載されていも すんなりと納得できるものです。がぁ
二七日を にじゅうしちにち と読んでしまうと、1月14日は 14日目であって27日間もすぎていないのにナゼこのような書き方になっているのか 見当がつかない。というのが質問の理由でした。
二七日を、仏教では 「ふたなのか」と読みます。7日間が2つ目という意味です。7日毎に閻魔(えんま)様に裁(さば)かれる。「お前が生きている間に行った事のここが間違っていた。しっかり反省修行してきなさい!と諭(さと)され、反省の行を重ね、次の7日目、別の裁判官(閻魔様)がやってきて、この日のこの考え方が大勢に迷惑をかけたのだ反省してこい!とさらに修行に行かされる。3回目の7日も・・・。
そんな、毎週、7日毎に裁かれ、凹む本人を応援するにはどうしたらよいのだろう??そうだ、お坊さん経由で亡き人を応援しようと永きにわたり行われてきた作法でした。しかし現代は企業に勤める方が増え簡略化が進み、2回目の処罰?なんとかなるべぇ。と、事実上、応援されることなく本人が独力で歩むことが多い模様です。しかし77日忌(「しちしち」と読んだり「なのなのか」とよんだりさまざまですが)である、49日目のご供養は丁寧(ていねい)に行われるのが通常になりつつあります。
ということもあり、27日忌 を現代用語から外れてしまったからか、読むこともなくなり、応援されることもなくなり、本人の力で応援されることなく、進むことになります。
ちょっと悲しい現実ですね。
残された遺族は、家族が亡くなったことへの実感が極端に薄れて、コロナ禍の中、面会することもできなかったこともあり、実感がわかないというのが、まさに現代だと感じています。
もしもあなたが介護も応援も供養も出来なった。と悔やんでいるとしたら、長谷寺にご連絡ください。宗旨宗派を問わず、どなたでも、過ぎていたとしても、なるべくお早目にご供養を行うことをお勧め致します。自分一人で悔やみ悩んでいた心が、劇的に改善されます。
長谷寺では毎日のご供養を重ねておりますが、ご葬儀を務めさせていただいた方へ二七忌から三七忌から七七忌まで、頼まれることがなくても、令和4年から実施することにします。
うーん、お電話いただいたからこそ実感できた自分の考え方「法要は頼まれたから行う事」を改めるきっかけとなりました。感謝すると共に自らの行動をあらため、改善したいものであります。