線香

お線香の香り

お寺での年回法要が終わり、お墓でのご供養のときの事です、代表してお施主さんが皆さんへお線香をつけてから等分に分けて渡されました。

受け取る人は想定以上の煙の量だったのか眉をしかめて受け取りながら手で払う仕草をされました。

煙いのでしょう。自然な反応です。が、少し違和感を感じました。

手で払うような嫌いな煙を、愛したご先祖様に贈るのはあり、か。いやそれは良い香りであり、自分につけている香水の香りと同じ意味であってそれを手で払うような仕草は例え、自然な反応でも何故か悲しく見えたのはなぜだろう。

私達が感じる香りは、香り成分の物質が空中に浮遊して、その物質を自分の鼻にある感じる部分で受け止め、初めて知ることになる

その成分の大きさによって煙として視覚されたとき、自然な反応が起きるのか?

ならば、プロパンガスや、都市ガスは、もともと無味無臭な可燃ガスなので危険を知らせる意味で意図的に嫌臭をつけている。

目に見えないと反応できない。見えないならば、匂いで知らせる。

ちょっと昔の人なので、ほうきで集めた落ち葉は焚き火で燃やすのが当たり前だったのと、焚き火の煙は暖かくて嬉しいイメージが結びついていたための偏見だったのだろう。

タバコを辞めて20年になりますが、未だにタバコの煙が良い香りに思えて仕方がないのも 煙を愛してしまっているからなのか

今回は量が多すぎた?いやいや、1束だからお墓では適量。

または、適量を火を付けずに渡して自分で点火は、屋外は微風でも点火できいないので、常にお墓参りをしている施主さんだけが習得している技術だったり

過剰に改善をするよりも見守るほうがいいのかなと思ったり。

安全に経験を積んでいただければ、それが一番 良い香り

そんな事が ぱあっと 頭の中を素通りしていったのを書いてみました。

お線香のお話

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