徳を積む

徳を積む

 善業をすれば天国から見ているから功徳を積むことができる。と言っても今はピンと来る人は少ないのかもしれません。天国で記録をしているというと、眉ツバをつけたくなりますが、天国をクラウド(雲)という表現に置き換えると急に近くなります。私も含めて携帯電話(スマホ)を常時持ち歩く人は大多数となり、街角にある防犯カメラや車についているドライブレコーダーも含め誰がどこに居て、何を調べ(検索、何を撮影し、購入(カード情報し、誰と会話しているのか、(snsに)何を書き込んでいるのか、クラウドと言う私たちの見えない場所ではビッグデータと言われる情報として集約されているのは、ご存知の通りの事実です。

 インターネット上に書き込んだ文章、メールも含めて、完全に削除したつもりでも、かならずどこかに保管されているのも、これまた事実です。元に10年継続してきた長谷寺のホームページの1700記事も12月1日付ですべて削除され、一般的には見ることが出来なくなっているのですけども、ちょっとした工夫で、掘り起こすことが可能だったりします。(ウェブアーカイブと言います

 長谷寺のHPが削除された理由は、月額1万円の経費を切り詰める為に、独自路線に切り替えたのが原因でchoukokuji.jpというドメインだけは残すことができたのですが、過去の文章を引きつぎ残す方法がわからなかっただけで、現在、再起動の努力の真っ最中です(泣)。功徳と書くとプラス面だけに重点がおかれがちですが、これを、業(ごう)という表現におきかえると、悪業もあれば善業もあるのがわかってきます。そうです、自分の今まで行いは、自分には見えない形でどんどん保存されていることを、私たちは知らない。しかし、それがシステムとして、現に保存されていること。アマゾンの購入履歴から最適化された品が出てきたり、youtubeを見ていれば次に最適な映像が自動的に選択されていたり、こころあたりはないでしょうか?

 私達は過去に戻ることはできません。しかし、これから未来については心がけるだけで大きく変化させることができます。善き事を、想い行動に移す。悪い事以外なら何でもやってみる。なるべくならば自分以外の皆の為にも。お散歩でゴミを1つ拾ってみる。お地蔵様に手を合わせてみる。通りすがりの人に挨拶をしてみる。または、思い出を書き出して、残してみる。悪いこと以外ならなんでもやってみる小さな小さな善き事を重ねることで、やがて皆の笑顔がいっぱいな、お釈迦様が伝えたかった心が安らかな世界。実は悟りの世界は以外と近くにあるものでもあります。 

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