業 仏教では ごう と読む。
業とは カルマ 行為を意味する。
業には 悪業と同じく善業もある。
あなたがもしもお金をたくさん集めた事を悪業だと想うのは間違い
もちろん 人を騙して得たのならば悪業となるのであろうが、あなたの行いが皆の幸せとなり対価として得たお金なのだとすれば善業の証
ご自分の才能が時代に合わさり授かったのならば、是非とも次世代を応援していただきたい。
体験を伝えるでもよし 描き記すでもよし、ご自分ができる次世代への応援をはじめていただきたい。
定年を迎え、多くの経験を重ねたならば、滑走路を十分に助走できた経験を基に独り前に進むべきである。
今、その志を 善き業とする方法はまだまだある。
自分自身の身体は返さなければならず、経験という業を持ち越せるとするならば、偽物でも、後ろめたくても善業を積むべきである。
恥ずかしさが、自分の行動に制限をかけるのならば、墓前に行く。先祖の墓地でなくても良い。多くの先人が眠る場所にきた時、今、自分はこの身体を動かせることを発見する。
死を自分の死を描け。死を見つめろ。死を知れ、死を学べ。死を自らの事と理解したのなら
行いを持つ。
他人にとやかく言われても、自分だからできることがある。死する前に精一杯をやりきる。
行為を カルマを 業を よき縁となりて贈レルよう。精進したい。