身と心を集中してモノを見たり、身も心も集中して話を聴いたとしても、相手とのコミュニケーションにおいて、自分自身の認識や偏見が反映されることがあるため、完全に客観的な視点を持つことは難しいことがあります。客観的になれないから、一方を善く感じてしまうと、他方は悪く感じてしまうこともあります。
仏道を学ぶとは、自分自身を学ぶことであり、自分自身を学ぶことは、自分自身を改善することになります。自分自身を知り、自分自身を変えることで、より良い人生を送ることができます。
自分自身を改善することとは、自然(ニュートラル)な法則を理解することにつながります。自分の内面を深く理解して、改善することで、自分自身と周りの世界との関係性は改善し、自分自身を越えて自然な法則に気づく瞬間があっても、それが終わってからも、長い時間をかけて修行を続ければ、より深い理解を得ることができます。
アスファルトの亀裂を補修材で塞ぎ、補修材でアスファルトがしっかりと接着するように、草焼機で溶かす。溶かすと周囲には焦げがのこり、白色線は焼けてしまう。使えば汚れる。汚れれば清めればよく、落胆する必要はありません。それが自然であり 当たり前というニュートラルなのだから。
平常心とは、仏教用語で、物事に対して平静で安定した心の状態を表します。つまり、どんな状況においても、心が乱れたり動揺したりしない、常に落ち着いている状態を指します。
仏教では、心の状態が物事の見方や捉え方に大きな影響を与えるとされており、平常心を持つことが重要視されています。特に、困難な状況や苦しい時に、平常心を保つことが重要であるとされています。なぜならば、心が乱れた状態で物事を判断すると、感情や偏見によって判断が歪んでしまい、思いもよらない誤った行動を取ってしまうことがあるためです。
平常心を保つためには、まず自己認識をすることが必要です。自分がどのような状態にあるのかを正確に把握することで、心を落ち着かせることができます。また、坐禅や呼吸法、リラックス法などのトレーニングを行い修めることで、心をコントロールすることができます。
平常心を持つことは、仏教だけでなく、多くの宗教や哲学においても重要視されています。また、日常生活でも、ストレスやプレッシャーの多い現代社会において、平常心を保つことが求められることが多くなっています。