ていねいに

なおった!

ただすわる。室内でも屋外でも良くて、しずかにゆっくり時間をかけてすわる。ありのままにうけとる練習をくりかえす。受け取るには初めに持っているものを捨てることからはじめる。例えば口から息を吐く。すると鼻から勢いよく空気が入ってくる。持っていたスマホを手から放して、手を合わせて、あいさつをしてから、手を組むことで法界定印(ほっかいじょういん)を行い、坐禅を行う事を禅定という。 禅は語源の音写。定は意味。心を定め本質を知るためにただ座る。座と坐。静かな土台の上ならば室内でも屋外でも構わない。ただ座り、ありのままに観じ受け取る。すべてに理由があって、すべてが変化し続ける。常で居られる物は一切ない。すべての物事は変化し続ける。

 今回のコロナ禍という変化は大きく広く長く深く続いている。

動きはじめた流れを静かに見守る。変化し続け、変化を観じ、己も変化し続けていることを納得する。時に強く、時に弱くなっていることを学び。己が強い時には感じることが出来ないことも、弱まる時に一気に流れ込み感じる事に驚く。何が言いたいのか、何を伝えたいのか、何を感じるべきなのか?

 経験を重ねる 失敗といえばマイナスと感じるが、経験を重ねたと思えば、一歩前進したことを知る。同じ行為だとしても、とらえ方でプラスにもマイナスにも感じる。

今回のコロナをマイナスと捉えるか、プラスと考えるか。私達は雑に地球を扱ってきたのではないか。地球が警鐘を鳴らしているのだとすれば、己を見つめなおし反省し、一つひとつを丁寧に受け取り、感じる。時間をかけてじっくりと。

ゆっくりと歩む。

久しぶりに、草刈り鎌を研ぎ、剪定ハサミを研ぎ、刈込ハサミを研いだ。幼少のころと言っても修行に行く前だから、中学生まで、実家の寺院の草刈りを率先して手伝っていた。使えば傷がつくのが刃物であり、使えば切れなくなるからこそ、研ぐことで早く長く広く刈ることができる。

 今回はあまりにも久しぶりで楽しく、美しく砥げてゆく刃先に集中しすぎて調子にのってしまった。中心から削れてゆく砥石をみながら両端に残ってゆく部分まで砥石を有効に使おうと端まで使うと過去に経験した痛い失敗を思い出しながら、今回は大丈夫だと何の根拠もなく続け、砥石の端を通りすぎた先にある刃先にてザックリと新たな経験を深く重ね、骨があってくれてよかったと感じる所で止まってくれたありがたさ。

 心臓より上げて押さえながら血小板さんに協力を仰ぎしばらく反省。日本の水道水の清潔さに感謝しながら新しい歯ブラシを煮沸してから自分で奥までゴシゴシできるのも後にさらに自分に迷惑をかけたくないから出来るのも、過去の経験が教えてくれました。

あゆみ 漢字で書けば「歩み」この文字の語源は右足と左足の足跡とのことで、調べるまでは、止まる事を少なく。結果的にあるき続ける事と思っていた。

素直にありのままを観る。ありのままに受け入れて、それをふまえて行動に移す。

 丁寧に生きて丁寧に洗い。丁寧に歩めたからこそ今、その指でパソコンを打つことができています。ありがたいです。

道元禅師はこのように説かれました。

 「山の本質を究め尽くすためには、山の本質を考えて考え抜く。そうすれば、このような山水は、あるがままに賢者であり、聖者であることがわかる」これをコロナウイルスを当てはめて読んでみる。

 

 「コロナの本質を究め尽くすためには、コロナの本質を考えて考え抜く。そうすれば、このようなウイルスは、あるがままに賢者であり、聖者であることがわかる」

 考えに考え、より深く考える。深く考えて、素直に感じ深く学ぶ。地球が言いたい事は何か、もしかしたら私達は乱雑に日々を重ねすぎたのではないか?ならば丁寧にゆっくり急いで治せるところは直し恐れすぎるのではなく、しっかり見聞きして、しっかりあゆんでまいりましょう。

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