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ルールは、何を守るためにあるのだろう

ルールは、何を守るためにあるのだろう

「決まりですから」と言われて、理由を聞くのをやめたことはないでしょうか。

反対に、決まりがあったおかげで、断りにくいことを断れたり、安心してその場にいられたりしたこともあるかもしれません。

ルールは、私たちを窮屈にすることもあれば、守ってくれることもあります。だから、数を減らせばよいとも、細かく決めれば安心だとも、簡単には言えないのだと思います。

住職との会話を通して、「その決まりは、何を守るためにあるのだろう」と考えるようになりました。

目次

決まりに書かれていない気遣い

例えば、共有の場所を使ったあと、片づけるという決まりがあるとします。

「片づけるように書かれているから」と思って動くこともできますし、「次に使う人が気持ちよく過ごせるように」と思って動くこともできます。どちらも、片づけるという行動は同じです。

ただ、次に使う人を思い浮かべていたら、決まりに書かれていないことにも気づくかもしれません。椅子の位置を少し直す。濡れたところを拭いておく。自分が使った物ではなくても、通り道にあればよけておく。

そうした小さな気遣いまで、すべて決まりにするのは難しいでしょう。

一方で、「気遣いがあれば分かるはず」と言って済ませることにも、難しさがあります。初めて来た人には、その場所で当たり前とされていることが分かりません。人によって、気になることも、できることも違います。

いつも気づく人だけが片づけを引き受けているなら、決まりをつくることで負担を分けられる場合もあります。ルールと気遣いは、どちらも必要なのだと思います。

長谷寺にて、草が生えている場所を自ずと見つけて、草むしりをしている様子

受け継いだ決まりの理由を尋ねる

住職との会話では、先代から受け継いできたやり方の話にもなりました。

先代が長い経験の中で、「これは大切だから残したい」と考えたことがある。けれど、次の世代には、その理由まで十分に伝わっていない。すると、受け取る側には、ただ従うよう求められていると感じられることがあるのではないか。そんな話でした。

確かに、理由が分からない決まりは、負担に感じやすいものです。

けれど、自分に理由が分からないことと、そこに理由がないことは、同じではありません。

なぜ、この形になったのか。誰が困らないように、考えられたのか。どんな経験から、必要だと思われたのか。

そこまで聞いて初めて、「なるほど」と思えることもあるのでしょう。実際に続けてみて、あとから意味が分かることもあるのかもしれません。

だからこそ、守る側が理由を尋ねられることと、伝える側がその問いを受け止めること。その両方が大切なのだと思います。

「なぜ」と聞ける場所でありたい

理由を知れば、必ず納得できるとは限りません。

以前は必要だった配慮が、今は別の方法でもできるかもしれません。反対に、なくしてもよさそうに見えた決まりが、誰かの安心を支えているかもしれません。

見直すときにも、「面倒だからやめる」「昔からあるから残す」だけでは、見落としてしまうものがありそうです。

最初の問いに戻ってみる。

この決まりは、何を守るためにあるのだろう。そして今、その大切なものを守れているだろうか。

すぐに答えは出なくても、そう尋ね合える関係は、残しておきたいと思います。

お寺も、長く受け継いできた形のある場所です。初めて訪れる方には、分からないことや、聞きづらいこともあるかもしれません。

そんなとき、「なぜ、こうするのですか」と聞いていただける場所でありたいです。すぐに答えられないことがあるかもしれません。それでも、その問いをきっかけに、一緒に意味を確かめていくことはできるのではないでしょうか。

決まりについて尋ねることから、その人が何を大切にしているのかが見えてくる。そんな会話を、お寺でも重ねていけたらと思っています。

 記事を書いた人

加藤大宗

神奈川県厚木市・蓬莱山長谷寺 僧侶。永平寺東京別院で修行を積み、慶應義塾大学を卒業後、葬儀・法事・供養などの仏事に携わる。 その経験を活かし、仏教や供養に関する知識を分かりやすくお伝えする記事を執筆しています。