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「執着しない」という考え方 

「執着しない」という考え方 

日々の暮らしの中で、私たちは知らず知らずのうちに、たくさんのものを握りしめています。

「こうでなければいけない」

「失いたくない」

「間違えたくない」

仕事のこと、人間関係のこと、将来への不安。

どれも大切だからこそ、離したくないと思うものばかりです。

しかし、その思いが強くなりすぎたとき、心は少しずつ重くなっていきます。

仏教では、この状態を「執着」と呼びます。

長谷寺では、この執着という心の働きを、とても大切なテーマとしてお話ししています。


執着は、悪いものではありません

まずお伝えしたいのは、執着そのものは決して悪いものではないということです。

人や物事を大切に思うからこそ、離したくないと感じる。

それはとても自然で、人間らしい心の動きです。

問題になるのは、

それを握りしめ続けてしまうことです。

変わっていくものを変わらせないようにしたり、

自分ではどうにもならないことを何とかしようとしたり、

まだ起きていない未来を心配し続けたり。

そうして現実との間に少しずつズレが生まれると、

そのズレが苦しさとして現れてきます。


「執着しない」とは、手放すことではない

執着しないと聞くと、

何も思わないことや、感情をなくすことのように感じる方もいらっしゃいます。

けれども、そうではありません。

仏教が伝えているのは、

「なくす」ことではなく、

「握りしめない」ことです。

たとえば、大きな荷物をずっと持ち続けていると疲れてしまいます。

でも、その荷物を捨てる必要はありません。

いったん床に置いて、

少し距離を取って見てみる。

それだけで、ずいぶん軽く感じるものです。

執着しないというのは、

まさにそのような心のあり方です。


苦しみは、心の中に生まれる

仏教では、苦しみは外から与えられるものではなく、

自分の心の働きによって生まれると考えます。

同じ出来事が起きても、

深く苦しむ人と、静かに受け止める人がいます。

その違いは、出来事そのものではなく、

それに対する心の関わり方にあります。

だからこそ、苦しみをなくすために必要なのは、

出来事を変えることではなく、

心との距離を少し変えてみることなのかもしれません。

長谷寺が大切にしていること

長谷寺では、何か特別な答えをお伝えするというよりも、

それぞれの方がご自身の心に気づくきっかけを大切にしています。

「こう考えなければいけない」

というものではなく、

「ああ、自分はいま握りしめているんだな」

と気づくこと。

それだけで、心の景色は少し変わっていきます。

執着をなくすことが目的ではありません。

気づいたときに、ほんの少し力をゆるめられること。

その積み重ねが、

心を軽くしていくのだと思います。

日常の中にある仏教の知恵

仏教は、特別な時だけの教えではありません。

むしろ、日々の暮らしの中でこそ役に立つものです。

思い通りにいかないとき

不安が膨らむとき

心がざわつくとき

そんなときに、

「少し握る力をゆるめてみよう」

そう思えるだけでも、

世界の見え方は変わってきます。

心が揺れることは、誰にでもあります。

揺れないことが大切なのではなく、

揺れたときに戻ってこられる場所があることが大切なのだと思います。

長谷寺が、その一つのきっかけの場になれたら嬉しく思います。

本日もお読みいただき、ありがとうございました。

合掌


 記事を書いた人

加藤大宗

神奈川県厚木市・蓬莱山長谷寺 僧侶。永平寺東京別院で修行を積み、慶應義塾大学を卒業後、葬儀・法事・供養などの仏事に携わる。 現在は慶應義塾大学大学院にて産業心理学の勉強中。仏教や供養に関する知識を分かりやすくお伝えする記事を執筆しています。