長谷寺では法事の後に写真の撮影をお勧めしています。
故人を偲び、お互いに時間を調整して集まった、親類縁者そして親友とのひととき。
あの日から⭕️年 思いを引き継ぎ、自分なりに精一杯の日々を重ねて来たことを、善き香りと共に皆で報告をする。
過去に戻れないからこそ今、出来ること。その為に集まった皆様と感謝の心を持って記録に残す。収まる写真の中には、おそらく二度と会えない事となる人もいるはずで、もちろん自分かもしれない。
故人を知るからこそ、あの日に戻って逢いたい。懐かしく幸せな記憶がどんどん薄れてゆく。
あいたくてあいたくてあいたくて 少しでも戻りたくて あの日の写真を探すが一緒に写る写真はなかなか見つからない。
こんな自分も、同じように必ず身体を返す事になる。私の周りのあのひとが、同じように写真を探した時の為にも 集合写真は大切です。
こんなこともありました。最愛の奥様が先に旅立たれ。
奥様のために皆が集まる日。そう。その日のために精一杯の準備を重ね、息子が孫がすくすくと成長している事を報告し、法事の後にみんなで写真を撮りました。その写真には、皆に囲まれて、満足そうに微笑むお父さんの笑顔がありました。
そこに写る笑顔が お父さんの遺影になりました。
おそらく、自分の命も短いことを存じ上げていたのでしょう。夫として妻をしっかり供養する。父親として息子に背中を見せる。祖父として生きざまを見せる。
写真を嫌がる傾向もあります。
自分も
命を突然 返す日が来る
命の重さを知るからこそ、精一杯の日々を重ねて集まり、そして写した写真は 次世代の宝になる。
諸行無常だからこそ供養の心を大切にしたい。
今を大切に
