先日質問を受けましたが、明確に答えられなかったので、今ここで記します。
涅槃
おそらく俗語の
nibban の音写
迷いの火を吹き消した状態
これが仏教語大辞典に記されている解釈です
上記のことから、一般的には死を意味する言葉と解釈されたものと思われます。
実は質問を受けた時、このように死を意味している一般的な言葉と返事をしそうになったのですが、いやいや違う。
お寺に戻って辞書を調べたところ、このように記してありました
なお、辞書の記述を読むと、涅槃を解脱と、同義と解されたこともあるが、ある場合には、解脱からニルヴァーナが得られると考えられていた。
とも記されております
涅槃と聞いて 良い意味に感じられないこともあるでしょう。でも、迷いの火を吹き消した状態。
受験勉強するとき、絶対に合格するんだ。と、信じて学びつづけるのと、
どうせダメだから。と、気合を入れずに学ぶ時、結果は違ってくるのだと思います。
私達人生を、ぶっつけ本番で生きています。
迷うことだらけです。
自分の気持ちの中にある 迷う気持ちを 「ふっ」 と優しく吹き消して
あゆみをすすめてみることを、お釈迦様は伝えたかったのではないでしょうか?
わたしたちの迷う気持ちは 吹き消すことができる程度のもので、
ごしごし洗う必要も、全力で打ち消すものでもないことを。
世界から、フッと、自分の気配(けはい)を消してみる。損だとか得だとか、邪とか善とか、通りこしてながめてみる。世界をちょっと高いところから眺めてみる。欲だらけな心から離れてみる。離れ続けることはできない。すぐお腹(おなか)が、空(すく)し、眠たくもなるし、ひとりで居れば寂しいし、多人数とすごせば肩身が狭い。そんな世界からフッと、抜けだす方法をお釈迦様は 禅じた。そう、ただすわるだけ。背筋をのばすのは、長くその姿勢を楽に続けるすがた。 目を閉じてみる、いろんな事がらが頭の中をかけまわる。目を閉じているよりも、薄く目をあけていたほうが、心が落ち着くのに時間はかからない。 これは自分でやってみた方が納得する。いや、おしゃかさまは自分でやってごらんと諭す。自分でやってみて、感じて、感じたことが本物で、感じ続けるために 何度でも坐り見つめなおす。時には長く、時には短く。なんどでも行う。ひとつひとつの事柄はさまざまな理由があってそこに在る。迷いをフッと吹き消すために。
合格するために、自分の知識が不足しているとするのなら、学ぶ時間にあてればよい。模擬試験は今の自分をみせてくれる。ここがわかっていない。ここはわかっていると。落ち込むことではなくて、フッと 落ち込む気持ちを吹き消して、わからなかったところを復習してみる。
人生も悩み続けるより、模擬試験同様、やってみる。用意が不足なら、再度チャレンジしましょ。落ち込む炎をフッとふきけして、あんなことこんなこと、人生をたのしみながら、生き抜く。ああ、いい人生だった と、思えるくらいに、フッとこの身体も消えてなくなる。 その身体を楽しみましょう。