読解 自己版

洞谷記の一部を自己読解した。

洞谷記

能登の酒井にある永光寺は祖忍姫より寄進され、瑩山禅師は生涯の安楽の地となされた。総持寺が開山される前に開かれた寺院であります。五老峰とは瑩山禅師の嗣書、御師匠様の嗣書、懐弉禅師の血経、道元禅師の御遺骨、如浄禅師の語録を永光寺奥の小高い丘に安置した。以後、永光寺の住職となれば、五老峰を守る者となる。瑩山禅師の法を継ぐ者達が相談し輪番にて永光寺の行持を勤めてもらいたい。瑩山禅師が開祖された寺院のなかで、最も大切にするべき寺院だからであり、法を継がぬ者の場合には、五老峰を守らない可能性があるからである。

一味同心、様々な流派により法を継ぐ者があるが、永光寺を守り、五老峰を守るからには、同じ流派の心持をもって、この寺を守ってほしい。ひたすらこの法を尊敬し、丁寧に扱ってほしい。この法の風を広めてほしい。これが瑩山禅師の願いである。この法の風の中には僧侶ではない檀信徒も同じく含まれている。もちろん特別な想いを持つ檀家さんが居なければ、この法の風は途絶えてしまう。

自分が指導者で、檀家方を指導すると想いがちでありますが、瑩山禅師はその考えを否定し、檀家さんを丁寧に対応し仏様とおなじく敬うことしなければならない。戒定慧。仏道修行ができるのはすべて、布施をしてくださる檀那様が居てくださるからなのだから大切にしなさい。瑩山禅師の仏法修行が出来るのも、檀信徒の皆様の信心があればこそのおかげであり、自分が修行できるのである。

 だからこそ、多くの寄進なされた皆様を忘れず、子孫の皆様も同様に大切なお施主様として大きな恩をわすれず、仲良く共に歩むように文章に残す。永光寺開山時の鏡として住職も檀信徒も共に読み込むために、互いに重ねてから割印を押してから、一通は寺院にて保管用、二通目は檀信徒の保管用としてお互いに、これを次世代もおなじく引き継ぐ冊子としてこれを置く

洞谷記を読み、永光寺を訪れた時の事を思い出した。なんの基礎知識もなく、峨山道の始点の寺院との認識が強かったのを思い出す。寺院左手より山道が始まるのですが、その寸前に位置するのが五老峰。基礎知識がないということは、酷いもので、五つの盛り土として、ただ見ていた。瑩山禅師を支えた品々を納めてあるとの説明を当日うけていたが、何が何なのか聞き流していた。現在、私も小さいながらも寺院にて住職として日々を重ねている。重ねていると、不安に襲われることがある。これで良いのか、これが正しいのかと。そんな時に、先を歩まれた祖師の五品から力をいただきながら、道をひらかれたことを今頃になって感じることができた。復興寺院として、ゼロから立ち上げは、不安が心をむしばむ。道に迷い、道を定め、道を整え、道を求め、道を歩む。 長谷寺にも長谷寺を定める五老峰が必要なことを、師匠をなくし、弟子を持つ身となりて、心の支えの必要性を実感している。

私は檀信徒のみなさまがありて、行を修めることができていることを、忘れていないだろうか、支えてくださったあの老師の子息様を同様以上に手厚く、感謝しているのだろうか?感謝がたりないのではないだろうか? 法を頂き 法を継ぎ、法を受け止め、法を伝え、法を贈る。できていないことばかりで、現代誤訳もまだまだ深く、本意にはとても届かないのだろうが、現段階の私による、最上の努力の証として、記載します。今後は、さらに読み込み読み直しそしてかみしめ 習得できるように精進努力を忘れぬように。感謝をわすれぬように。歩みを進めたい。

誰もが決して一人だけでは生きる事はできない。ご縁があり、感謝を欠かさず、いただいた恩を贈り続ける。

改めて参拝を 目標として。

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